「 中国軍の脅威、問題外の日本の対応 」
『週刊新潮』 2010年5月20日号
日本ルネッサンス 第411回
東シナ海で進行中の事態はまさに日本の危機であり、異常事態だ。
奄美大島の北西320キロメートル、東シナ海の日中中間線から日本の排他的経済水域(EEZ)に40キロも入った海域で海上保安庁の測量船、「昭洋」が5月3日、中国の調査船に追尾されたのだ。
そこは日本のEEZである。どんな調査をしようが、国連海洋法で認められた日本の権利である。にも拘らず、中国側は「昭洋」につきまとい、作業中止に追い込んだ。中国は東シナ海における中間線を認めず、沖縄トラフまで全て中国の海だと主張してきたが、いまや、言葉だけでなく行動で主張を実現し始めた。
海保によると、「昭洋」が中国の調査船「海監51」の接近をレーダーで確認したのは5月3日14時頃だ。
中国には海軍とは別に国家海洋局所属の海監総隊がある。一昨年12月8日、日本固有の領土である尖閣諸島領海に中国海洋調査船2隻が侵入した。「海監46」と「海監51」で、海監総隊の所属である。
「海監51」は今回、14時20分頃に「昭洋」に接近、14時30分には国際VHFで「当該海域には中国の規則が適用される。調査活動を直ちに中止せよ」と通告した。「昭洋」は「当該海域は日本の大陸棚であり、国際法による正当な調査だ」と返した。
「昭洋」はそのとき海底の地殻構造調査を行っていた。海底の何ヵ所かに地震計を沈め、船上から音波を発し、はね返ってくる音波の分析から地下構造を解明する。「昭洋」が約10ヵ所に地震計を沈め、音波実験を済ませて、地震計の回収に入ったとき、「海監51」が接近したのだ。
ちなみに地震計は、船上から信号を発して機器を浮上させて回収する。浮上に少々時間がかかるため、それぞれの機器は一定の時間をおいて浮上させ、回収する。周辺に船がいると、船体にぶつかって機器が壊れたり、データが失われたりする危険性がある。中国船の側に浮上すれば、機器を奪われる可能性さえある。
危険かつ侮蔑的な行動
「海監51」が接近したとき、「昭洋」はそう判断して、南東(奄美大島)方向の海域に沈めていた地震計を先に回収しようと移動を開始した。海保の担当者が語った。
「それでも中国船は接近してきました。最接近の距離は1キロ弱です」
海上の1キロは殆ど至近距離だ。小回りが利きにくい船にとって、衝突の危険さえある距離なのだ。
「海監51」は14時30分に警告第一声を発したあとも、「中国の規則が適用される海だ」「調査を中止せよ」と繰り返しつつ、「昭洋」を追尾した。追尾は16時30分まで続き、やがて「海監51」は進路を変え、17時45分、「昭洋」のレーダーから消えた。
結局、2時間10分にわたって、海保は中国に追い回された形である。しかし、海保担当者はこう語る。
「我々は、調査を無事に完了するために、別の海域に移るのが賢明だと判断したのです。地震計は翌日、全て無事に回収し、その他の作業も6日には完了しました」
「海監51」に追われて逃げたのではないという説明だが、果たして中国側はどう受けとめたか。彼らは、単に日本側の移動に合わせて伴走したとは考えなかっただろう。実力行使をすれば、日本は引き下がると実感したはずだ。まともな国なら、自国の海に入り込んできた外国船が調査中止を命じたとき、大人しく引き下がることはあり得ない。海保が「穏やかに」対応せざるを得ない背景に、日本外交の惨状がある。
「昭洋」事件のひと月前、10隻の中国海軍艦隊が東シナ海で軍事訓練を行ったあと、沖縄本島と宮古島の間を通過した。東シナ海中部海域で訓練をする中国艦隊に、海上自衛隊は監視体制を敷いた。当欄でもすでに紹介したが、その海自の艦船に中国のヘリが、高さ30メートル、距離90メートルまで異常接近した。自民党衆議院議員、小野寺五典(いつのり)氏は「もしこれが日中逆の立場であれば」「完全に撃ち落されているのではないか」と、4月14日の衆院外務委員会で述べている。
それほどの異常接近であり、日本への侮りとしか思えない同事件が起きたのが4月8日だった。問題は、同件についての政府発表が13日まで、5日間も遅れたことだ。その間の12日、鳩山由紀夫首相と中国の胡錦濤国家主席がワシントンで首脳会談をした。首相は厳しく抗議しなければならないはずだが、同件を話題にさえしていない。発表の遅れは、鳩山首相が中国の非に抗議しなくても済むような状況を作ろうと、外務省、或いは官邸が画策したのではないかとの推測が広がったゆえんである。
中国海軍の危険かつ侮蔑的な行動に関する情報は、防衛、外務、首相ら閣僚にどのように伝わったのか。国会議事録から見てみよう。
抗議ではなく「申し入れ」
防衛政務官の長島昭久氏が4月20日の外交防衛委員会で自民党の佐藤正久議員の質問に答えて、事実関係を以下のように語っている。
4月8日11時頃、警戒監視中の海自護衛艦「すずなみ」に中国海軍のヘリが異常接近。同14時頃、「すずなみ」から統合幕僚監部に連絡、15時頃、統幕から内局事態対処課に連絡、18時20分防衛大臣以下政務三役に報告が上がる。18時30分、外務省に連絡し、中国政府への申し入れを依頼、ほぼ同時に官邸に報告した。
これが防衛省側の動きだが、午前11時に起きた異常事態が大臣ら三役に報告されるまでになぜ、7時間20分もかかったのか。これで危機に対処出来るのかという疑問は湧く。しかし、防衛省としては、大臣らが情報を受けたあとは、外務省、官邸に迅速に情報を伝えてはいた。
では、外務省に入った情報はどうなったか。岡田克也外相が同情報を知ったのは、なんと12日だった。
21日の外務委員会でも小野寺氏は、防衛省が8日18時30分、外務省、官邸に連絡したにも拘らず、12日まで4日間もなぜ外相に伝わらなかったのかと質した。
岡田外相はこう答えた。
「4日間といいましても、9日が金曜日でありますので、10、11日は土日ということで、12日は月曜日になるわけです。報告が上がってきたのは12日の昼頃であります」
国家の危機管理に金曜日も、土日もあるものか。この種の危機意識の薄さが、国家の大失態につながるのは歴史の示すところだ。
外務省は12日になって初めて中国側に、抗議ではなく「申し入れ」を開始した。外務省の「申し入れ」を確認した防衛省は、13日に情報開示に踏み切った。その間、鳩山首相は前述のように胡主席との首脳会談を終えた。勿論、事件への言及は、一言もなかった。
日本の中国外交の見直し、海保、海自の力の充実、日米安保体制の強化の必要性が痛感される事例である。